プロフィール


ここではスエイさんの略歴を紹介します。以下を読んで、スエイさんの歴史を知りましょう。

末井 昭(スエイ・アキラ)
編集者/白夜書房取締役編集局長
1948年岡山県生まれ。O型。


40's-50's

1948年 6月14日、岡山県和気郡吉永町大字都留岐(かなりの山奥)にて生まれる。
1953年 祖母が死んだため、親戚にあずけられる。母親は肺結核で入院中。
1954年 吉永町立三国西小学校に1年早く入学。1・2年生のクラス(複式)の後ろに机を置いてもらう。
1954年 定かではないが、このころ母親が退院(病気が治ったわけではないが)。
1955年 4月、吉永町立三国西小学校へ1年生として入学。
1955年 11月、母親家出・行方不明。町の警察に捜索願いを出す。
1955年 12月、母親が隣の男とダイナマイト心中。山陽新聞に載る。父親、働く気力がなくなる。
1957年 生梅を食べてエキリになり死にそうになる。ペニシリンで助かる。以後、運動が苦手になる。
1958年 このころからイジメに合う。内向的になる。絵を描くことが好きになる。
1959年 父再婚。母親を「お母ちゃん」と呼べなくて「オバサン」と呼ぶ。


60's
1961年 吉永町立三国中学校へ入学。
1964年 岡山県立備前高校機械科へ入学。
1967年 4月、同級生と2人で、大阪の枚方にある工場へ集団就職。
1967年 6月、工場が耐えられず、父親が出稼ぎに行っていた川崎ヘ逃げる。
1967年 7月、三菱自動車川崎製作所に勤務。
1968年 4月、青山デザイン専門学校グラフィックデザイン科2部に入学。このころ同棲。
1968年 何月か忘れたが、株式会社作画会に入社。看板、ディスプレーのデザイン。
1969年 キャバレー・クインビーチェーン宣伝科に入社。新聞広告、チラシなどのデザイン。


70's
1970年 11月25日の早朝、御徒町で全裸で町を走る(つまりストリーキング)。頭からペンキを被り道路を転げ回る(イラストレーション)。その日、三島由紀夫が自決(関係ないけど)。
1970年 キャバレー・クインビーチェーンを辞め、アパートの一室で悶々とした日々を過ごす。妻に食べさせてもらう。
1971年 池袋のピンクサロンの看板描きになる。いろんな店から頼まれ大忙し。
1972年 このころから雑誌のイラスト、デザインなどをやるようになる。大忙し。
1975年 11月、月刊『NEW SELF』創刊、編集者になる。セルフ出版(のちの白夜書房)入社。
1977年 4月、『NEW SELF』連続3回発禁。4月、月刊『小説マガジン』創刊。
1977年 6月、月刊『ウイークエンドスーパー』創刊。9月、月刊『ZOOM-UP』創刊。
1978年 『映画少年』創刊、すぐ廃刊。


80's
1981年 上杉清文、南伸坊らと総合商社HAND-JOE設立。高田馬場に事務所を設け「なんでもいいからとにかく振り込め運動」「水戸黄門パフォーマンス」など行う。
1981年 6月、島本慶と共著『NOパン革命!』恵文社より発刊。7月、『写真時代』隔月で創刊、のちに月刊
1982年 7月、『写真時代Jr.』隔月で創刊、のちに月刊。
1982年 11月、初めての著書『素敵なダイナマイトスキャンダル』、北宋社より刊行。
1983年 12月、季刊『写真時代21』創刊、4号で廃刊。
1985年 10月、角川文庫『東京爆発小僧』刊行。
1986年 川文庫『東京デカメロン』刊行。
1987年 少女オカルト誌『MABO』創刊、すぐ廃刊。商品先物取引を始める。 
1988年 3月、『写真時代』発禁。11月、『パチンコ必勝ガイド』創刊。
1989年 『パチスロ必勝ガイド』『漫画パチンカー』創刊。5月、パチンコ日記『174,140円の教訓』太田出版より発刊。


90's-00's
1990年 このころからギャンブルに熱中。
1995年 9月、『パチンコ・ドル箱天国』風雅書房より刊行。
1996年 10月、妻の元から家出。
1997年 7月、『パチプロ編集長』光文社より刊行。
2000年 神蔵美子と結婚。
2004年 4月、『絶対毎日スエイ日記』をアートンから、『スエイ式人生相談』を太田出版から刊行。


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