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第2回 須田栄司さん
スエイさんの30年来の友人で、フィリピン・レイテ島で戦没者の英霊を発掘する活動をされている須田栄司さん。「須田さんのメチャクチャな生き方が好きだ(スエイ)」という言葉にあるように、その人生は一筋縄ではいきません。その須田さんの人生を辿りながら、スエイさんとの思い出を語っていただきました。
営業マンが
「この機械を買えば、金が儲かる」
っていうわけよ
●まず、須田さんとスエイさんが出会った頃の話からお聞きしたいのですが。
須田 もう、30ウン年になるね。きっかけ はなんだっけ?
スエイ 僕が雑誌を始めたころだと思うけど。
須田 『ニューセルフ』だ! スエイさんから俺が原稿もらってさ、俺が写植を打ってたの。スエイさんが事務所に泊り込んでるところに写植を持ってったりとかさ。スエイさんは当時から全然変わんないよ。
●じゃあ、須田さんは最初は写植屋さんだったんですか。
須田 いや、最初は運送屋。
●運送屋さんから写植屋さんになれるもんなんですか。
須田 うん。俺は高校を途中で辞めちゃったんだけど、そのときに12歳離れてる、一番上の兄貴に言われたの。「学歴のない奴はダメだ」「社会でやってけない」と。固い兄貴だったんだけど、うちの親父が小学校2年生のときに死んじゃってるから、俺にとっては親父代わりでさ。で、すぐ上の兄貴と3人で運送屋やろうかってことになって始めたわけ。で、やってたんだけど、俺が会社の金ごまかしちゃってね(笑)。「会社乗っとられる」とか兄貴にナンヤカンヤ言われて、その運送屋は喧嘩別れしちゃったわけ。で、俺も金がないからさ、しょうがないから1年だけよその運送屋でクルマに乗ったわけ。で、そのときに運んでたのが写研の写植機でさ。写植機を運んでると、だんだんその営業マンと友達になるじゃん。そうしたらさ、写研の営業マンが「この機械を買えば、金が儲かる」っていうわけよ。それで写植機を買って、写植を覚えたの。
ホテルのロビーが
フィリピンの女だらけに
なっちゃって
●最初は普通の写植屋さんと編集者の関係だったんですね。
須田 うん。俺が写植屋になったのが27か28歳くらいだから、そのすぐ後。
●仕事上の付き合いから仲良くなるようになったのはナンだったんですか?
須田 うーん……きっかけはないけど、スエイさんはこういう人だからさ。
スエイ かいつまんで言うと、知り合った頃の須田さんは写植屋をやってたんだけど、何故かいきなりヤメて、今度はフィリピンの海老を輸入する仕事を始めてね。「儲かんない」とか言いながらやってたんだけど、しばらくしたら電話あって、今度は女をフィリピンから輸入して。キャバレーとかに送り込む仕事を始めたの。で、「遊びに来い」って言われて池袋に行ったら、フィリピン人の女の子が4人くらい待ってるわけ。で、アパートに連れて行かれて、セックスをするわけ(笑)。だから、節目節目に須田さんとは会ってるんだけど、コロコロ仕事を変わるのが面白いと僕は思ってて。
●運送屋さんから写植屋さんも凄いですけど、写植屋さんからフィリピンも凄いですね。
須田 (理由が)なんかあったんだろうね。女の仕事はね、最初、俺がマニラで旅行会社を始めてさ。日本から団体のツアー客……企業の慰安旅行みたいのが来るとさ、現地を案内したり、女を世話したりしてたの。ところがね、電気屋かなんかのツアーをやったらさ、ホテルのロビーがフィリピンの女だらけになっちゃって。それが問題になってできなくなっちゃって、それじゃあ、日本に女を連れてこうってなっていうことでやってたの。
頭にきて、
蹴ったんだよ、
応接セットの椅子(笑)
●運送屋、写植屋、海老、女……でも、いずれも後に凄く流行った商売ですよね(笑)。そういう意味では先駆者的な仕事ばかり。
須田 早すぎるんだよ、俺(笑)。写植屋のときもね、校正とかをいちいちスエイさんに持って行ったりしなきゃいけないんだけど、ファックスを置けばさ、校正の手間がかからないからいいじゃん。それに気付いて130万くらいのを入れたんだけど、それも早すぎてダメだった。
スエイ でも、そういう須田さんが右翼になったからビックリしちゃったよ(笑)。
須田 「求道塾」っていう右翼団体をやってたんだけど、「もうフィリピンに住んじゃう」ってことで、それは一昨年解散してね。街宣車も処分して、今は任意団体。看板背負ってるとさ、何かと言うとすぐコレ(手錠のポーズ)になっちゃうんだよ。だから、今は右も左もない、上も下もないっていうのをやってるんだけど。戦死した人間を、日本に連れて帰ってくるっていう「英霊を迎える会」っていうのをね。これは看板背負ってないから、多少は大丈夫なわけ。でも、今日さ、ちょっと机を蹴っ飛ばしたらさパトカーが来ちゃって(笑)。
スエイ どこで?
須田 郵便局で(笑)。頭にきて、蹴ったんだよ、応接セットの椅子(笑)。そしたらさ、「痛い、痛い」とか言って総務課長が言い出してさ、パトカーとか来ちゃって警察行って話してきた。まぁ、今は右翼団体を解散してるし、まぁ、向こうも被害届出さないように話したからってことで、隣(留置場)に行かなくて済んだ(笑)。だから、右翼団体は解散はしてるんだけど、公安が色々ついてるわけ、今でも (笑)。
厚生省が今まで
何もやってなかったって
ことなわけ
●須田さんは現在、フィリピン・レイテ島に英霊 をまつる神社を建設しようと活動されている、とうかがってますが。
須田 レイテ島ではね、日本の兵士が8万人も死んでて、まだ埋まってるわけ。1万5千人は帰って来てるっていうんだけど、非常にいい加減なわけ。でも、もし、仮に1万5千人が帰ってきてたとしても、あとの6万5千人が、放っぽりっぱなしになってるってことなんだよ。
●現地のその辺を掘れば、すぐに骨が出てくるような状態。
須田 そう、早い話が。だって、素人の俺だけで、もう2千人分くらいを掘り出したわけだから。厚生省とかはさ、当時の戦況を知ってるわけじゃない。「部隊がこうやって動いた」とか、「ここで戦闘があった」とかね。探せばそういう資料があるはずなんだけど、全然やらない。だって、俺が何の手がかりもなくて探せるってことは、厚生省が今まで何もやってなかったってことじゃない?
スエイ 厚生省は探す気もなかったっていう。
須田 そう、ないの。なんとなく「戦争は終わったこと」っていう風潮があるじゃない? その原因は「遺骨収集」って言葉でもあ るけど。収集って「物を集める」ってことだから、もう戦死した人たちを物扱いにしてるってことでしょう。だから、「放っといても、まぁいいや」って感じになるんじゃないの? で、逆に山で遭難した人は「遺体収容」って言うじゃない? それはいかにも人間らしい。だけど、この問題は物扱い。だからもう「遺骨収集」っていう言葉自体もヤメめさせよう、と。それが浸透すればさ、「生身の人間が死んだんだな」っていう実感が沸くじゃない。だから、今、政治家だとかに話してるわけ。
●それで「英霊」なんですね。
須田 うん。ただ、みんな早い話、都合のいいときだけ「英霊」って言いたがるよ。「英霊」って言ってると、例えば靖国神社だったら参拝客が来たりして金儲けができるじゃない。だけど、今度はじゃあ「英霊を探しに行く」っていうことになると、金がかかるからね。遺族にしても戦争で一緒に戦った人も、みんな銭も惜しいし、自分の老後が大事じゃない。と、そういうときは物扱いにしちゃうわけ。
こっちが拳銃を持ってるとは
思わなかったんだろうけど、
俺は持ってるからさ
●レイテ島ではいまだに反日感情が強いとのことですが。
須田 やっぱね、表面上は南国だからみんな明る いんだよ。でも、フィリピンってスペインの占領が長かったじゃない。スペインに400年。で、アメリカにまた40年。日本に3年くらい。植民地の歴史が長いから、すぐ物が無くなっちゃう(笑)。しかも、「盗ったのはこいつだ」って分かってるような状況でも絶対にシラを切るの。絶対に認めない。昔、「認めると殺されちゃう」とか「手を切られる」とか、そういう悲しい歴史があったんじゃない? 400年の間に、そういう鬱屈したものが深層にあるから、根が暗いわけ。執念深くて、陰険で、陰湿。それは住んでみなくちゃ分からないんだけどね。
スエイ 須田さんはなんでゲリラに撃たれたの?
須田 うーん……どういうことだったのかね。ちょうど掘ってるときに襲われてね。最初、向こうはこっちが拳銃を持ってるとは思わなかったんだろうけど、俺は持ってるからさ。それで撃ち合いになっちゃった。作業員はみんな逃げちゃうしさ。
●それは「英霊を掘ってる」ことに対して襲撃してきたんですか。
須田 それがわかんないんだよね。向こうには山下財宝っていう伝説があるわけ。山下将軍が隠したというアレね。それは、レイテの人間は「みんなどこかに絶対にある」と信じ込んじゃってるから、否定してもダメなんだけど、だから、ゲリラは俺が山下財宝を探してると思って襲ってきたのかもしれない。で、その銃撃戦で、そのときの銃弾の破片かなんかが、体に入っちゃったのね。
スエイ 足かなんか撃たれたの?
須田 腹と目。危ない、危ない。
●一番最初の運送屋さんからは想像できないですよね。こういう活動をするにあたってもきっかけがあったんでしょうか。
須田 一番のきっかけっていうのはね、中学生くらいのときにね、俺「インパル作戦」っていうのを読んだんだけど、戦闘内容が非常にヒドいわけよ。例えば、食料も何もない中に行かせられたり。それを読んでて、「いつかそこに行ってみたい」とずっと思ってたんだけど。で、商売やって潰れて、またやって潰れてという中で、じゃあ民族運動やろう、と。この世の中の不条理を正そう、となったんだと思う。なんか感じるものがあったんだろうね。
レジ開けたり商品持って
悠々と歩いていくんだけど、
しばらくして、お巡りが来るわけ
●レイテ島のゲリラは思想があるんでしょうか。
須田 レイテは共産ゲリラで、義賊っぽいところがあるの。例えばね、ある商店がアコギな商売をやるじゃない。すると住人がね、ゲリラに言いに行くわけよ。そうすると、その店をゲリラが襲うわけ。昼間だよ。で、レジ開けたり商品持って悠々と歩いていくんだけど、しばらくして、お巡りが来るわけ。ゲリラがいる間はお巡りは絶対来ない。
スエイ ゲリラのほうが強い?
須田 お巡りもゲリラを怖がってるから。お巡り3人をゲリラが殺したりね。そうなると、町のお巡りが、みんな逃げちゃって。
年中、桜田門に呼ばれても、
この道一筋できてる
それが凄いね
●須田さんから見たスエイさんはどんな方だと思われますか?
須田 スエイさんは昔から全然変わらないよね。オバケだよ。だって、格好だって全然変わらないもん、昔から。最初会ったときから同じ。年取らないよね。年中、桜田門に呼ばれても、この道一筋できてる。それが凄いね。だから、この道入って取締役になって。でも、全然変わらないよ、スエイさん。
スエイ でも、僕はもうスケベなことは一切しないから。奥さん一筋。
須田 ……それはどうか分かんないよね(笑)。
スエイ いや、本当ですよ。前はムチャクチャだったけどね(笑)。須田さんから「来い」って言われたら、すぐ行ってたし(笑)。
須田 でも、じゃあスエイさんはそういうところで、年をとったのかね?
スエイ 年はとってないんですよ。これは誓いだから。家の奥さんに対して、「ウソは一切つかない」っていう。もし、スケベをしたらウソを言わなきゃいけないでしょう。もう、ウソを言うのが面倒臭いんですよ(笑)。でも、須 田さん、ちゃんと筋を通すのはえらいよね(笑)。「奥さんに離婚届を渡して、次の日に」って(笑)。普通ならそのまま逃げちゃいそうだけど。やっぱりね、須田さんは面白い人だと思うんだよね。だって写植屋から海老、女でしょ、で、今右翼なんだから。ムチャクチャっていったらムチャクチャだけど。
須田 俺、結構飽きっぽいんだよね、商売にしても何にしても。だけど、これだけは長続きしてる。自分でも不思議でしょうがない。
スエイ 感じるものがあるんだね。「英霊」が背後に何人かいるんじゃない? それに導かれて続いてるんじゃない?
須田 うん。くっついてんのかもわかんない(笑)。
スエイ 普通、人間って年を取るとそれ相応に自分の社会的位置みたいなものを決めてくじゃない? でも、須田さんにはそれがない。それがおかしいよね(笑)。
須田 そうだね。でも、「年を取ると子供に返る」っていうじゃない、そういうのはあるわけ。子供に返ってるんじゃないの(笑)? 俺さ、ときどき「一緒に写真撮らせてください」って言われるわけ、若い奴から。なんか、ドンガバチョ(のトラヒゲ)みたいなイメージがあるんじゃない?
スエイ うん(笑)。リバイバルで「ひょっこりひょうたん島」が流行ってたしね(笑)。
須田 新宿で「演説してくれ」って言われてやることもあるんだけど、新宿だと外人が写真を撮るわけ。結構、有名人で人気者なんだよ、俺のキャラ(笑)。
※須田栄司さんは現在、いまだレイテ島に眠っている6万5千人の戦死者を祀る慰霊神社(宿泊もでき、参拝もできるところ)を建設しようと活動されています。写真にもあるように自民党の古賀誠衆議院議員、野中広務元衆議院議員もこの活動を支持されているようです。この活動に興味のある方は、こちらよりアクセスしてみてください。
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第1回 バッカスのママ
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